
みのむしの音を聞に来よ草の庵・・・芭蕉の句にちなんで名づけられた「みのむし庵」。風雅で落ち着くひとときに、日本人に生まれた喜びを感じる。

左:風雅の先人は、住まいも生き方も風雅なのである。みのむし・・・最近では見かけないかも。
中:文化財ゆえ、あがる訳には参らねど、同じ空気を吸い、しばし和人の心を読むものである。
右:きょうも早めに仕事を切り上げ、山チャンも俳句をひねる姿なり・・・しかし悲しいかな一句もうかばないのである。

左:日本人の琴線に触れる、落ち着いた静かな空間に、侘びさびの風を読む。
中:あくまでも萱葺きにこだわった、まことに小さな空間に、宇宙の存在を感じる。
右:庭に白き猫あり。近づけど逃げも隠れもせで、我ら一行を案内(あない)すべく屋敷の奥にいなざった。

左:杉皮の清々しさと、その趣深い造作に、和の心と形を思ふ。贅沢は避けあくまでも質素に風雅に。今ではこうした張替えの手間をあえて避けている。
中:伊賀上野駅前まで戻りたるに、これまた昭和の薫りを残す食堂あり。しばし一膳の飯にて邂逅の縁に浸りたくもあり。
右:しかるに、この店が只者ではない証拠に、店頭にぞ手書きのメニュウが掲示されて居り。その数たるや金輪際決して注文のなかろう物まで、丁寧に綴られてあった。

左:さうかうするうちに、伊賀上野駅裏の古き街に入り込む、これまたクラシックな「かぎや餅店」を見つけたり。
中:何せ、餅、饅頭、だんご、煎餅などなにひとつとして無い物はない・・・全ての和菓子を揃えたる心意気や、ディスプレイを眺めるだけでも、いとをかし(菓子だけにね^^;)
右:みたらしや赤飯など無いものは何も無い・・・売れるか売れないかは、また別の話と覚ほゆ。

左:叶うものであれば、忍者だんごなる物を喰らい、少しでも伊賀忍者に近づけば・・・と考えたり。
中:「みそパン」これなるは、いかなる味であるか、ここはひとつ試し喰いしたい逸品こそあれ。
右:ガラス瓶に収まる菓子も、戦後延々と商い続けてきた深さが見ゆる。昨今出来た物とは、歴史の深さが違う。

左:これら店主に聞き及ぶは、全ての菓子の類はここで製造されているという。こういう歴史の深さがいとも貴重なわけである。
中:ひとつ買っていき、食べたい衝動に駆られる。
右:お菓子を食べれば御茶屋さんもある。ここで、何でも喉をうるおすものなり。

左:さて、街角を歩くと「昭和ハウス」「ソースもん研究所」なるこれまたコアな空間が広がる。
中:そして駐車場には何やら賑やかな車があった。
右:見れば見るほど恥ずかしくなる「マンガ塗装」の車なのである。

この先は何もコメントが要らないかも。

旧い街に痛車。こうして造形技術は後世に残って行くものかもしれない。
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