1. 無料アクセス解析
スポンサーサイト
- --/--/--(--) -
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事のURL | スポンサー広告 | ▲ top
江戸時代の高札所
- 2010/02/01(Mon) -
100129☆r00
埼玉県は本庄市児玉町に残る、江戸時代の高札跡であります。「史蹟 江戸時代高札場 埼玉縣」とあり、この石碑自体も古いもの^^;

100129☆r01 100129☆r02 100129☆r03
江戸時代、幕府は法令を民衆に周知徹底させるために、板に墨で書かれた法令を掲示させた。これが「高札」でそれを掛けた場所を高札場と呼んでいる。
この高札場は屋根が銅板葺きの切妻形式で、高さは3m。材質は杉材で柱は3本。
これに高札4枚を掛けたカギが残っている。また、これを囲んで高さ1mの駒寄せを立ちめぐらせている。

100129☆r04 100129☆r05 100129☆r06
この高札場があるのが、児玉町の八幡神社であります。鳥居も社殿も立派な造りで、おりしも節分祭の準備が行われているのであった。鳥居は、明神形青銅造、高さ6m、幅6.5m

100129☆r07 100129☆r08 100129☆r09
2対の狛犬も風情がある。ここは、源義家が父頼義に従い奥州安倍征伐の途中この地に斎場を設け、石清水八幡宮を遙拝して戦勝を祈願した場所といわれる。

100129☆r10 100129☆r11 100129☆r12
こちらは同じ児玉町にある、太駄の高札場の写真。こんな江戸時代の遺跡がずいぶん残っているのだ。
墨書にて、このように書かれていたものの、当時の人々が皆わかったのであろうか・・・今読んでもなかなかむづかしい。
内容は、ご法度である徒党や強訴・丁散の動きを訴え出れば銀百枚の褒美と、帯刀苗字を許可するということ。あるいはこれを取り鎮めた者にも御褒美を下さると書かれている。(明和7年4月)奉行
スポンサーサイト
この記事のURL | 観光・鉄道 | CM(0) | ▲ top
<<北関東の雪の朝 | メイン | ゼロ戦エリアになっちゃった^^>>
コメント
コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する


▲ top
| メイン |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。