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盲目の国学者塙保己一
- 2010/01/07(Thu) -
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左:児玉町の雉岡城跡にやってきました。天守閣などは残存せず、本郭の空堀が残る程度。跡地は公園として整備されており、中に盲目の国学者塙保己一(はなわほきいち)の記念館がある。
中:こちらが塙保己一の記念館。入場無料なのでこういう時は率先して見学する^^。
右:塙(はなわ)記念館とあり、昭和42年竣工と随分古いのだ、ただし建物自体はリニューアルしたのか、さほど古さを感じない。

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左:これが塙保己一が住んでいた住宅で、現在も残っているばかりか今も子孫の方が住んでいるのである。
中:門など補修したのか瓦など新しい。何せ延享3年(1774年)というから、230年も前の事なのだ。
右:江戸中期の茅葺民家である。門から中庭を見たら、何と洗濯物が干してあったりして、実際に生活の場となっているのだ。

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左:さて記念館に戻り玄関にある先生の座像など拝見する。目は見えないが正面を見据えて福々しい顔立ちをしている。
中:生家の写真や生い立ちなどゆかりの品々が飾られている。何と7歳の時に病気で失明している。
右:先生の姿を伝える代表的な絵であるが、盲目である姿の表現で目をつぶりうつむき加減の姿勢としている。

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左:江戸に出て雨富検校須賀一の弟子となり、国学を学び和学講談所を設立。絵図は総検校としての授業風景。
中:和学講談所の復元図である。今で言えばお寺に近い造りと言える。ここが当時の学校だったのだ。
右:和学講談所は別名「温古堂」と呼ばれ看板が残っていた。いわば「古きを温め新しきを知る」の実践所だった訳である。

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左:和学講談所で使用された木製の印鑑や陶磁器製の朱肉入れである。
中:古書に記された先生の姿。和学講談所で『源氏物語』の講義をしているときに、風が吹いて、ろうそくの火が消えたことがあった。保己一はそれとは知らず講義を続けたが、弟子たちがあわてたところ、保己一が「目あきというのは不自由なものじゃ」と冗談を言ったという。
右:お茶もよくたしなんだという事で、抹茶茶碗が残されている。ひびがはいり、茶渋が浸透している。

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左:群書類従を編纂した。その全巻665冊が保存されている。当然ながら後の増刷りの和本と思われる。また更に『続群書類従』1885冊を編纂している。
中:この群書類従は、日本の古代より近世にいたる1276種の書物をとりまとめたものである。いわば古今の全集である。大正10年、昭和天皇が皇太子であったころ、ケンブリッジ大学を訪問した記念に『群書類従』を寄贈することを約束され、秩父宮様が届けた。その他、『群書類従』は、ドイツの博物館、ベルギーの図書館、アメリカの大学等にも贈られた。
右:元の版木も残されているが、かなり朽ちてしまっている。桜木で作成されており、20字×20行で統一されている。これが現在の400字詰めの原稿用紙の原型となった。

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左:さて、この近くを通る旧鎌倉街道に、「雀の宮橋」という雅な名の橋なむありける。今は女堀川に架かりたる古き橋なり。
中:この街道は、中世に鎌倉から関東諸國をとおり信濃や越後を結ぶ交通路であったと言ふ。
右:今でこそ、新しき高架橋が上に出来、車も人も多くは通らねど、古くは「いざ鎌倉」とて戦国武将が馳せ参じた街道とこそ言いけれ。
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コメント

こんにちは 入場無料の記念館とは珍しいですね。維持管理費がかかるでしょうに。太っ腹☆
『雀の宮橋』とは すてきな名前ですね。遠路遥々歩いてこられた人が ふとここで立ち止まり 和んだことでしょうね☆ 

"^_^"
2010/01/08 17:26  | URL | ゆみりん #-[ 編集] |  ▲ top

謎の多い街道
ゆみりんさん、どうもですー^^。
 無料の記念館は、市の教育委員会がお世話しているようですね。管理人さんの人件費・電気代だけでも、かかってしまいます。
 さて、鎌倉街道は1本道でなく、しかも現在では途切れ途切れでそのルートさえ定かでない、幻の街道。
 ただしこの雀の宮橋は、鎌倉時代からここに架かっていたものと思われます。
2010/01/08 20:27  | URL | 空飛ぶパンダ #jYsgXq72[ 編集] |  ▲ top

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